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第一回 石橋湛山新人賞受賞、伊藤真利子さんインタビュー(1)
March.01.2021PRINT THIS PAGE

Part 1. 石橋湛山新人賞受賞おめでとうございます!――伊藤真利子×杉浦勢之

杉浦: 論文「郵便貯金の民営化と金融市場」での第一回「石橋湛山新人賞」受賞、おめでとうございます。

伊藤:ありがとうございます。杉浦先生がインタビュアーですと、なんだか論文審査のようでとても緊張します(笑)。

杉浦: 昔から、伊藤さんは、話すほうは苦手だったから。「で、何やりたいの?」と聞くと、じっと黙っている。それで後から「勉強」しまくった文章が膨大に届くんです(笑)。

伊藤:その節は、いろいろご迷惑おかけしました。やはりテーマを早く決めなければ、という焦りがありました。本当に自分が書きたいこと、自分が書かなければならないことって何なのだろうと、そういうことを常に悩んでいました。

杉浦: そうね。大学院って、自分が納得のいくテーマに行き当たるかどうかというのが、ある意味決定的だからね。勉強というのは、それに自ずとついてくるものであって。でもしゃべるのが苦手な分、書く能力があるというのは、配剤かもしれないですね。書いたものは、「勉強」したところでない部分で、こちらが時々舌を巻くような鮮やかな視点が出ているときがあったので、これは勿体ないなあ、と。大学院で肝心なのはそこだから、自分で早くそこに気づけよ、と思っていました。教えてあげなかったけど(笑)。

ではまず私のほうから、賞についての説明をさせていただくということから始めましょうか。
石橋湛山という方はもともと東洋経済新報社を主宰したエコノミストです。日本では経済学などほとんど輸入学だったわけですが、時代とともに、だんだん日本オリジナルなエコノミスト、経済学の理論がきちんとできて、日本経済についても、理論的、実証的に問題を扱える人たちが現われてきました。

石橋湛山とか高橋亀吉などが、その第一世代に当たるのですが、彼らが最も注目されたのは、第一次大戦後の世界恐慌に向かう中、金解禁論争で、新平価解禁を提唱した時でした。今でいえば自由主義的な考え方とケインズ主義的な考え方が日本で論争となった。これはある意味、今日にまで連綿と続く論争点の日本での最初と言えるのですが、とにかく石橋湛山は、濱口内閣に真っ向から立ち向かっていく。それで徹底して言論弾圧にあいます。体制に順応しないとういうか、反骨の人物ですよね。その後中国との戦争が拡大していく中でも、小日本主義ということを提唱する。要するに日本は日本列島で頑張っていけばいいじゃないかということを、あの時代にはっきりと打ち出し、そのため東洋経済新報社は潰されてしまいます。戦後は、自民党の総裁になり、総理大臣に就任します。それまで、社会主義政権の中国と国交を断絶していたのを、彼が日中国交の端緒を開く。戦前の自分の言説をちゃんと完結させるんですね。

伊藤:経済史を勉強していると、必ず行き当たる方ですよね。

杉浦:それと戦前、彼は、首相が国会に出席できないのであれば、どのような理由であれ、潔く職を辞するべきであると、銃弾に倒れた濱口雄幸に対して煉言していたんですね。それでご自分が病気であることが判明すると、一切隠さず、就任後とても短い期間で潔く辞任しています。とにかく生き方にぶれがないというか、潔い政治家、自らを律することのできる政治家であり、経済学者であったという印象があります。もう少し首相を長くやっていたら、日本の戦後というのは、相当違うものだったような気がしています。

その彼を記念した石橋湛山記念財団という財団法人があって、これまで30年間、ずっと「石橋湛山賞」を経済研究や政治研究の分野で優れた成果を出した者に贈られてきていました。日本の有力なエコノミストは、皆さんこの賞を獲得しているんじゃないかという、大変権威あるものなんですが、今回これから大きく転換していく世の中で、原点に立ち戻り、もう一回若手の研究者を発掘していこうということで、第一回「石橋湛山新人賞」が新設されたと聞きました。

そういうビッグネームの賞なので、初めから取りに行こうという感じではなかった。最初に石崎晴己研究科長から、あの論文どうですか、とお声をかけていただいたわけです。急なお話しではありましたが、総合文化政策学部を始めた時に、これまでにない学部・研究科を創るのだから、我々は積極的に挑む行動するカルチャーを持とうということで、教員、学生、院生が一緒に出発したということがあったので、今回の公募もとにかく手を挙げようと。もっとも伊藤さんの性格を知っていたので、いい論文ではあるんだけど、断るんじゃないかな、と思っていたところもあった。そうしたら「結果はともかく推薦のほどよろしくお願いします」との返事でしたので、ああここにきて本当に変わったなあ、と。

伊藤:チャンスに対しては、結果に怯まず、照れることなく、進んで手を挙げるということは、総合文化政策学部の先生方の教えだったのです。それまでは自分なりに研究ができればいいみたいなところがあって、何をするにしても遠慮がちでしたから。石崎先生には、私の論文のこと、頭の隅に置いていていただいていたということだけで、本当に感謝の気持ちでした。

財団法人 石橋湛山記念財団から石橋湛山新人賞が新たに創設されるというご案内があったそうで、政治・経済・社会・文化など人文社会科学系の領域で、湛山氏の思想である「自由主義・民主主義・国際平和主義」に直接間接に関わる研究論文が対象ということでしたが、内心、石橋湛山氏という偉大な方のお名前を冠した新人賞に応募するのは図々しいと思っていました。おそらく先生もですよね。

杉浦:(笑)。

伊藤:授賞のお知らせをいただいたときは、まさかいただけるとは思っていませんでしたから、半信半疑で、慌てて杉浦先生に電話でお伝えしました。

杉浦:電話の声が震えていたのを覚えていますよ。後で聞き違いだったでは冗談にならないから、もう一度確かめなさいと言ったら、慌てて切って。すぐまたかかってきて「間違いないそうです」(笑)。
いや、大変ありがたいことでしたね。

伊藤:はい。受賞式では、石橋湛山氏の毛筆をトレースした「Boys be ambitious !」と刻まれている、素敵なブルーのクリスタル・トロフィーを頂戴しました。長い時間をかけて、期待を込めて、創設された賞だと伺いました。そのご期待に添えるよう、研鑽を積んでいきたいと思います。

続きは「Part 2 論文「郵便貯金の民営化と金融市場」について

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